AT車

運転免許を得たのは何十年前だろう。すでに東京に住んでいたがやはり取るなら田舎の方が楽だろうと夏休みを利用して教習所に通った。もちろんオートマ限定ではなくいわゆるマニュアル車である。クラッチを離す力加減がなかなかわからず苦労したことを憶えている。教習所は一度もダブらずに卒業できたが東京で受けた試験は2回落ちて(3回だったか)ようやく受かった。4畳半一間の下宿生が車を買えるはずもなくさっそく田舎に帰って家の車に乗ってみた。2速からしか入れない中古車は教習所のとは勝手が違う。しかしマイカーだ(親父のだが)。ちょっと走ってくると軽く伝えて国道を東に向かった。

トラックやダンプが飛ばす中なかなか車線変更ができずにいると当時はおかまいなしに後ろからクラクションが鳴り響く。右折がなかなかできない。矢印信号で咄嗟に進めない。県の周りを一周する大回りのコースに出たことを後悔したころにはもう日はとっぷりと暮れていた。ライトを点けるのも初めてだ。思ったより見通しが悪い。夜に事故が多いのも納得だがそんなことよりここはどこだ?今どこ走ってるのかわからない。地元だけになんとなく地名で方角の検討をつけてハンドルにかぶさるよう前のめりになりながらトロトロと走っていた。運送業者の車は益々スピードを上げている。

ようやく元の国道まで戻ってこられたのは何時ころだったろう。車ででかけたまま何時間も待たされたら心配するにきまっている。母親にはうるさく叱られたが親父は横で笑っていた。

今サブスクで乗っている車はオートマだ。クラッチはないがその少し上にはサイドブレーキがある車が多い(前に持っていた車はそうだった)。ギアをよく見るとDの横にMとプラスマイナスの印がある。新しい車は2とかLではなくマニュアルモードというものがあるそうだ。今度試してみたいがまだ怖がっている自分がいる。またギア変更に失敗して見知らぬ大きな交差点のど真ん中で立ち往生した記憶が残っているのだろう。

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